昨日 目の前に訪れた事を気持ちよく出来ていて、
さあ 今日も、 と 同じ感覚で繰り返しても
昨日と同じ気持ちよさはそこには無い。
今日の 目の前には 新しいことが訪れているから。
ほんの少しのゆとりが、 今、 目の前に 何が来ているか
焦点をあててくれていそうだ。
7月25日 21時からの NHKスペシャル をみた。
中国。 地球。 流れ。 複数層。 満ちる。
作られたテレビ番組ではあるが、
じっと見いった。
様々な反応が脳を行き来するのを感じながら。
ある方から 頂戴したメールで、 7月25日は 「雪祭り」があります。。
という旨が サラリと書かれていた。
えっ、 7月の25日、 この暑さ、 雪まつり ???
すぐに google で調べてみるも、
どれも 冬場の雪まつりのことばかりで、
なかなか 夏の 「雪まつり」にヒットしない。
追伸として、 雪まつりが気になる旨を書き残して、
その方に返信を致しましたところ、
すぐに、 雪まつりのご説明のメールを下さった。
確かに、 夏に開かれる 雪まつり である。
場所は、 山梨県の東置賜郡川西町玉庭。
その方の 美しい文面を引用させて頂く。
”雪まつり 玉庭の優しい大人達が冬のあいだに
いやというほど降り積もる雪を
断熱の効いた大きな倉庫に詰め込んでおいて、
夏休み最初の日曜日に広場に持ち込んで
行うお祭りです。
子供達は雪の中でタカラ探し(スイカなど)をやったり、
そり遊びをしたり、しまいには転げ回って楽しみます。
大人達は任侠ものの芝居などを楽しみます。
今年は白鷹町の高玉芝居というのが来て
くれるようです。”
人間は、 なんと強く、 優しく、 賢いのだろうかと、
人間は、 つくづく 生き抜くもの であるのだと、
私は、 この分の一言一言にずしりと、 どしりと、 受け取ったのである。
そして、 お祭り の ゆえんを感じ、 当てはめてみるのである。
このごろ、 面白い形の飲み物の自販機に目が留まる。
細い路地用の 奥行きの薄いのとか、
ブロック塀の すき間に合わせた 妙な形とか、
なんだか 良く読まないと何の為に付いているのか
わからない装置付とか。
そこに置かれるまでの過程を
いろいろ想像してみたりして、
なんだかテレビドラマを見ている気分で
日傘片手に、 横を通り過ぎている。
お土産探しで デパ地下を ぐるぐる回る。
どれにしようか、 これにしようか と。
結局 銀のぶどう さんの お菓子に決定。
テーブルの上に 菓子器に入れておかれたときに
銀のぶどう さんのお菓子は
ネイミング と 見た目が ちょっとかわいいので
お土産に 迷うと つい こことなってしまう。
さて、 半紙を前に、 筆を持ち、 目を瞑った。
野猫さん の
>練習するとき。
>目をつぶってやってごらん。
>さて、どうなるかな?
を 実験。
書こうとする字を 瞑った目の前に 浮かべる。
その通りに 瞑った目の前で シュミレーション。
さて、 ドキドキしながら、筆を動かす。
(つくりとへん の位置や、 点の位置など
どうなるか ちょっと気になる。
でも、 見ていないから 感覚だけに頼りきる。)
目を開ける。
。。 さて、 結果は。
。。 ご自分の感覚で、 是非 ちょこっと お試しアレ!
こんな単純なことなのに、 いろんな事が結構見える。。。かも。
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私の場合。。。
思いのほか、 書けている事に驚く。
結構形良く。
浮かべた字 に ほとんど近い。
筆圧だけ強かったけど。
色々な字を試した。
おぼろげに浮かぶ字や、 完全に浮かべる事の出来た字、
シュミレーションした時、 しなかった時、 など。
いずれも 浮かんだ通りにしか ならない、 と。
目を瞑ることで、 脳と手の間に 余計な邪魔が入らず
繋がった感じ で 手が その通りに動く。
体の恐ろしい程の精巧さに 改めて 驚く。
やはり、 「良く見ること」、 に戻ったりする。
何を見て、 しかも、 どう見て、 どうつなげ、 その中から
なにを行動として残すか。
思わぬ3行が からくりの紐解きに 。。 (?)
楽しさは、 またまた 尽きないのである。
認めざる終えない現実。
過去の日々が繋げられた今。
ふと 自分の生きた年数を振り返り
今と過去のつながりを 紐解くように
繋げていった。
それが 今の現実である、 と妙に納得する。
いや、少しの感情を込めるなら、
これが 過去の齎した 今だと
認めざる終えない、 という事であろう。
では、 これからの 残りの半生を どう描き、
今を作っていくのか。
今だけを突っ走ってきてしまった過去とは少し違う、
未来の中の今を、 他と繋がっている中の自分を、
一つ一つ 置石のように 置いていき続けたいと、
何度も、 何かの 間のたびに 自分に呼びかけている
今日この頃である。
書道のお稽古日。
正座して 墨をすり 書く。
お手本を見て、 書き、 見比べて、 また書く。
動作としては そんな感じだ。
目と手 の間を脳が
きっとフル回転しているのだろう。
帰り道は いつも足取りが軽い。
不思議に必要な時間になっている。
様々な本の著者が出演する番組 爆笑問題のススメ。
先ほど、 漫画家 楳図かずお 氏 が 出演していた。
”恐怖の感覚が 人を進化させてきた。
もし、 安全しかないとしたら、 何の進化も遂げなかっただろう。”
というような事を語っていた。
恐怖、怖さ を感じたときから 確かに生きようとする力が
増していくのかもしれない。
恐怖におののくという 弱さ を 知ったときから、
暖かさを求め、 探し、 回避する道を探すのかもしれない。
常に 表裏一体の中にあることを知りながら、
何が恐怖とつながるのかを知りながら、
明るさの中で生きていくという
知恵と強さを増やし続けていくのかもしれない。
聞き飽きた言葉かもしれないが、 やはり、
向き合うことから 始まるのだろう。
そして、 進み続ける。
話す と 聞く、
書く と 読む、
売る と 買う。
聞く相手がいて 話す。
読む相手がいて 書く。
買う相手がいて 売る。
話しているから 聞く。
書いてあるから 読む。
売っているから 買う。
2者が向き合っているから
話し、 聞く。
時を違えて向き合う2者があり、 文字があるから、
書き、 読む。
向き合う2者の後ろに、
そこで交わされたものを分かち合う者があるから、
売り、 買う。
言葉と 行為を 当てはめ、
どんな動きを表した言葉なのかを
感じてみる。
そして、 何をしていくのか。
そんなこんなを 考えていた。
この三日間、 事務所の冷房が壊れている。
”こ の” 三日間だ。
12時を過ぎるあたりから、 5時ぐらいまで
温風しか出てこない。
脳と、神経と、体が解けたようになり、
まるで機能をしない。
何一つ、物事が進まなくなってしまう。
集中力は わりとある方なのだが、
お手上げ状態である。
電気屋さんが 新しいクーラーを入れる予定になっているのが
2時だった。
今 3時。
温風が 吹き続けている。
今朝、 制服の警察官の乗った自転車が
ふいっと 前で止まった。
何かあったかな、 と思っていると、
その警察官は 自転車から降り、
3m位はなれたところに落ちていた
小さな紙くずを拾い、
自転車後ろの プラスチックケースの中にしまい、
す〜 と何もなかったように 走っていった。
その警察官は、 背中に何かを発するでもなく、
出来事がなかったかのように走っていったのだ。
その日、 その朝の数時間後、
道にタバコの吸殻が落ちていたのを見て、
私は そのまま歩く足を止めなかった。
頭に、今朝見た警察官の姿を浮かべながら、
それでも 戻りもせず、 通り過ぎた。
いいわけか、なぐさめか、の
いくつかのフレーズを頭に浮かべて。
今日の事実だ。
好きなテレビ番組がある。
日曜の朝 ビデオを撮っておき、時間のあるときに見る。
NHKの 『課外授業〜ようこそ先輩〜』
ご存知の方も多いと思うが、 その道のプロが
母校を訪ね、子供達に特別授業を2〜3日にわたり行う。
子供達のキラキラ輝いていく姿を見るのと、
それを目の当たりにする プロ が
さらに 何かをじんわりとにじみ出していく姿に
ホロホロ、おいおい、してしまう。
4日放映回 は 子供の頃から映画俳優になる夢を
持っていた奥田英二氏。
子供達が 無声映画の製作に挑戦した。
番組最後に 奥田英二氏が授業を振り返り、
「自分は こんな年の頃に 映画俳優になる夢をもったんだなあ。
この子達の中から、 この機会がきっかけで
映画監督や、俳優になりたいと思う子もいるのかもなあ」
と つぶやいていた。
この子供達にとって、この授業は きっとキラキラとした
1つのピースになった事だろう。
今更ではあるが、
様々な経験(体感)の一つ一つがピースになり、
後に そのピースがよみがえり、
道を照らし始めるという事を
今、 自分も実感している。
生まれた子供達が より多くのキラキラしたピースを増やし
希望を持って未来を作っていって欲しいと強く思っている。
自分もピースになるようなキラキラを生み出し続けながら。
とりあえず 受け取ってみて 受け入れてみて まねしてみて
どんな感じか 味わってみる。
全身からの反応を 敏感に感じて
反応がすっきりするアレンジを加えて 進んでみる。
受け入れる前とも違って、
まねするだけとも違って、
一味違ったものになっていく。
そんな過程が 今は楽しい。
何をどこまでどんな風に書こうか、
迷ってしまった。
迷うか、迷わないかは、 別にして、
blog って そんな個々の方々の 通り抜けた結果だから
読んでいて きっと興味深いのだろう。
さて、 何を迷ったかって。。
ずっとまだ抜けずに 残ってしまっているから。
実は、 まだ現役の父が、 突然、自分の死んだ後の、
起こるべく事務処理事項の話を し始めた。
たまたま 二人だけになり、 そんな話を切り出してきた。
私は、 PCに向かい、 そのまま顔を上げずに聞き続けた。
人が一生を生きてくる という、 感情とは別の次元の、
現実の重みを感じたのである。
その重みは、 自分の肩の力を一気に抜け去った。
いずれはやってくる その時の
感情と行動の 心積もりの始まりである。
暗すぎる、重すぎるねえ。
なにも こんなところに書かなくても。。 と思いつつ、
ちょっとだけ blogの力をお借りして
通り抜けさせてもらいました♪
思いもかけず お気遣いのメールを頂いた。
”心配り” という言葉が 染み渡っているようなメールであった。
そのままうれしく、大変有り難く言葉を頂戴するとともに、
自分のこれからや、 ”姿勢” という事を、
考える絶好の機会を頂戴しました。
有難うございました。
話は変わって、 (そのメールからの流れではあるが)
自分の家にある モノ で 愛着のあるような、
好きでここにあるようなモノは 何かなあと浮かべてみた。
そこで、 家に集まった好きなもの5つ。
275cm の 1枚板の細長のチークのテーブル
木目のはっきりした 木肌そのまま残った 座卓テーブル
育ってくれているグリーンたち。
八ヶ岳で見つけた 面白い形の彫金の一輪挿し。
ふらっと見つけた 古木の花いれ。
こういうモノを 好んでいるんだなあ とあらためて。