大晦日、 区切りとしてある一日に感謝。
大晦日は誕生日でもあるので、
一年を振り返ると、 もう新たな一年が始まってる という
ちょっとした ずれを感じる一日だ。
カレンダーとしての一年も、
自分の年の一年も、
今年は、 やっと終わった、 という感じのする年であった。
日々、 新しいことを見つけ、 感じ続けた。
365日が きちんと 在った。
意識をめぐらせた 呼吸 を一つするように、
一日を 過ごした、 365日だった。
付加がかかった、 ともいえるし、
充実していた、 ともいえるだろう。
季節でたとえるとするなら、
春ほど近い、 冬の終わりの一年だったと思う。
今年過ごした 365日が どのような形で
来年の 日々に つながっていくのか、
まだ見ぬことではあるが、
きっと 何かにつながる日々を過ごしていただろう。
来年は どんな一年になるだろう。
今年再開した ピアノを続けるだろうし、
映画も沢山見るだろうし、
本も多く読みたいし、
人々の間に居続けるだろうし、
” 実 ” を 感じる一年になるような。
大晦日の この日を 今年も迎えることが出来て
今年は、 いつもにも増して うれしい。
皆様に 感謝。
皆様、 どうぞ良いお年を!
30日といえば、
町田の町も、
いつもに増すあわただしいような賑わいを見せるが、
今年は、 いつもとは違うようだ。
色々なことが変わってきて、
年末の気分の持ちようも
変わってきているのかもしれない。
町の一区切りが近づく。

ウォン・カーウァイ 監督 の 『欲望の翼』 を鑑賞。
出演は、 レスリー・チャン、 カリーナ・ラウ、 アンディ ・ラウ、
マギー・チャン、 ジャッキー・チョン、 トニー・レオン。
映画は、 ヨデイ(レスリー) を表すプロローグから始まり、
ヨデイが サッカー場の売り子の スー・リーチェン(マギー・チャン)との
出会いから 展開されていく。
若き6人の、 そのときの生きる日々が綴られている。
実は 一度見終わって、 こちらに書こうと思ったが、
なんだか 足りなくて、 再度見た。
その後、 すぐには 感想が書けず、 今日に至った。
今も、 自分の言葉が この映画から伝わる 熱 に
見合わない 不釣合いさを感じながらも、 書いている。
好きな映画で、 ずっしりと感じた映画である。
場面、セリフ、登場人物を ゆっくりと 順番に
思い起こしてみた。
紙芝居の一枚一枚のように、 場面が強烈の残る。
あの 6人 それぞれの ページに
“ 熱 ” が 焼き付けられているような
そんな 場面ばかりだ。
役者の熱も あるのだろうし、
時代背景もあるのだろうが、
監督が 映像に移しこむ 物や背景も
あるのだろう。
例えば、 人の去った後の競技場の売店だったり、
坂道の横の電話ボックスだったり、
陸橋だったり、 車と車の鍵だったり、
カフェ、 時計、 部屋、
洗濯したランニングシャツ、
列車、 鏡を見る姿。。。
物も ずっしりと残っている。
頭ではなく、 胴の内側に 響いた映画だった。
ガス・ヴァン・サント監督、 ショーンコネリー主演 の
『小説家を見つけたら』 をビデオで鑑賞。
ひょんなことから知り合った、
ブロンクスに暮らす文学好き、バスケットボール好きの高校生男子と
40年前にピュリツァー賞に輝いた過去を隠し暮らす老人が
文筆を通じ、心を交わしあい、
お互いの進むべく方向をみつけ、向かっていく。
様々なセリフと、 ショーンコネリーの表情を
味わいたくなる作品だった。
画面に流れる映像と 言葉を読み取りたくて、
巻き戻して見返す場面がいくつか。
さらっと流せば それでもいいのだが、
ちょっとじっくり確認したい気分だった。
そんなタイミングで見た映画だ。
少年と、老人の 中間の年齢の私にとって、
シーソーの中間に立って バランスを取りながら
見ているような作品だった。
あたたかく、 優しい心持に。
そして、 ショーンコネリーの渋さに。
癖を遠目で見ている。
そっけない態度も、
いきすぎた言葉も、
高すぎる声も、
通らない声も、
どうも、 そのことが原因らしかった。
かばわなくては、 と思う気持ちが、
かばわれるべく姿を強調させる。
その火を保つ方法を試し始めている。
監督 ステイーブン・スピルバーグ 主演 トム・ハンクス の
『ターミナル』 を観てきた。
空港に降り立ち、 いざ入国となった際、
クーデターによって事実上祖国が消滅。
パスポートが無効になり、どこの国にも属さない空港で
日を過ごす事となる。
空港という独特の空気のただよう、
また、ある意味、
多くの人々(観客)にとって、 印象が深く残っているだろう
空港という 設定の中で
エピソードを並べることで
スピルバーグの 生きること への視点 を
描いていたような作品だった気がする。
いろんな要素がいっぱい詰まっていて、
フックがいたるところに
つけてあるという印象があった。
やはり アメリカっぽい映画なのかもしれない。
それにしても いろんなタイプの映画があるのだろうが、
映画を見ていると、 自分の気持ちの揺れを見ながら、
自分がどんな事を経験し、見て、 考えて、 感じて、
生きてきたのか 振り返ってみることが出来て 面白い。
見てきてない事や、 感じてない事や、
体験してきてない事や、
想像したことにない事には、
映画の画面でも 揺れないから。
そんな事を見れるのが また面白い。
お茶を飲みながら、 ふと話し出した。
「今回、つくづく感じたんだけど、
無駄にどんどん使うのは きり がないけど、
何かのために必要だと思って使うお金って、
ちゃんとうれしい形になってもどってくるなあ って。」
「ほんとに、そうだね。」
「うん。」
「ほんとに、 よかったね。」
本当に、 よかった。
これからも 本当に 楽しみを見せてくれる人。
冬の始めの頃、
「風邪気味?」
「そうだったんですけど、 気合で直しました!」
「さすが!」
いかにも そんな答えをしそうな人の答えに
みんなで笑いあった。
なんだか、 風邪の予感。
ビタミンC と かぜぐすり と 水。
気持ちは ちょっと その人の真似をすることに。

クァク・ジェヨン監督、チョン・ジション コンビの
『僕の彼女を紹介します』を観た。
クァク監督が用意した舞台上を チョン・ジション はじめ、
俳優人たちが 思いっきりはじき飛んでいた、
という印象。
同時に、 こちらの気持ちも隅から隅まで
キュンキュンと 飛ばされる感じ。
唖然とした感や、笑いが、いつのまにか
止まらない涙に。
そして、 最後の言葉まで涙。
しかしながら、 座席を立つ頃には、 不思議な爽快感が残る。
自分の気持ちがどんな場所を通り抜けたのか
確かめるように、
映像を思い起こしたくなる。
『猟奇的な彼女』 を見た後には
足取りが軽くなったのを思い出す。
後味の、 不思議な爽快感が 好きだ。
子供の頃見た、 外国のヒーロー者か何かのテレビアニメ。
2人の子供がそれぞれの指輪を合わせると
パワーが生まれ、 トラブルを解決する、
なんていうのが あった記憶がある。
いつも楽しみにしている方の BLOG を読んでいて
そんな場面を思い出した。
頻繁に耳に、目にする言葉なのに、
時には、
どこかまわずに 使われている様な言葉なのに、
その二つの言葉を組み合わせたとたん、
これ以上の組み合わせはないのでは
と思うほどの しっくりした感触、
そして、 力 が沸いた。
こんなことってあるのだろうか。
あるのだろうな。
言葉が、 文が、
どうしようもなく、
心を奮い立たせる。
言葉 と 人 の なせる業なのだろう。
目をこらし、 良く見ていこう、 と、
自分に言い聞かせたりした。
母の誕生日だった。
用意したプレゼントを渡した時,
しまったと思った。
Lサイズのセーターを用意してしまっていた。
そうとう、 私の中の母は大きかったみたいだ。
プレゼントを受け取ってくれる母の姿は
いつでも 少女のような笑顔を見せてくれる。
本当に、 色々な顔の持ち主だなあと 思う。
お誕生日おめでとう。
母に言っているのに、
なんだか、 自分に言っているような気分にもなる。
ありがとう。
頭に流れ込んできていたものがすっとひいた。
流れ込んできてから、
流れ出ていくまで、
状態と、 感情と、 それによる行動とを
じっくりと覚えておこう、 と思う。
事実の事柄より、 足かせとなりうるものが
あるのだろうと。
赤の点滅のきっと直前。
冷静に、 とか、
あせらず、 とか、
落ち着いて、 とか、
どうにか風を送り込んで
脳の熱を冷ましている。
そんな一日。
未解決な案件と、 苦手な案件が
思考回路に負担を与えている。
時と事実に解決を任せるとしようか。
そこに 何をのせて放してみる?
その言葉に 何をのせて放してみる?
その文字に 何をのせて放してみる?
今持っているそれに、 何をのせて手渡してみる?
流れついて、 また その流れに放つものに。
『花様年華』 を ようやくビデオで。
繰り返し見てしまった。
また見たくなってしまう。
目や顔の表情や、 しぐさや、 場面や、
うわ〜ん と うなりそうになってしまう。
火曜日に返却予定だが、 また見てしまいそうだ。
そう、 とても好きな作品なのでした。
『2046』 も、 もう一度見てみたくなった。
口々に 人から人へ 語り伝えられた話に
絵が加わり、 文字となり、 演じられ、
音が加わり、 映像となりながら、 その話が残されていく。
誰か特定の人の想像が加わるのか、
多くの人の共通の想像であろうものが加わっていくのか。
あらゆる想像の形が加えられている現代、
そこに 自分独自の想像を加えなくても
その仕上げられたものの残像だけで
どうにか伝えられているような事柄が
増えているように感じる。
ある意味、便利な時代というのだろうか。
それでも想像をし続けていたい、と
自分に言い聞かせている。
見えてくるものが 増えてきただけに、
もっと、 見えないものを 楽しむ想像を。
目に見える現実が過去の結果であり、
未来へのほんの一カケであると。