何が意味のあることで、
何が意味のないことなのか。
凝り固まった 定義上に おける 意味付け。
その一点における、 一視点による 価値基準。
経済活動には 意味のないとされる行動も、
その一瞬の、 その行動が、
その人生にとって 大いなる意味のある行動である事もある。
また、 その逆もあるのだろう。
ときに、 趣味という言葉をかりて、
選択の意味づけを潜り抜けたりする。
ならば、
趣味が 生き方になるような そんな事に挑戦してみたい
。。。 などと 思っている。
世界水泳 平泳ぎ100m決勝を見た。
表彰台からおりるところまで。
HANSEN Brendan 選手の 表彰台での姿が
たまらなく印象的であった。
そこに立つまでの日々を想像させるような、
こちら側にも何かの動機付けをさせるような、
穏やかでありながらも、 焼きつくようなつよさのある姿だった。
その様子を見れたこと、 見れる時代にいること、
見れる環境に入れること、 全てに感謝。
余韻。。。
うれしい出来事の後も、
その逆の出来事の後も、
同じだけ、 同じ量だけ、 同じ長さだけ、
後味が残るのだろうか。
浸っていたいと思う余韻も、
早く抜け出たいと思う余韻も、
すでに消え去った出来事の、
もう訪れない出来事によるものだけではあるが、
再び作りあげるか、
もう2度と繰り返さないか、
そんな気構えを作るプロローグにもなり得るのかもしれない。
感情の源にふたをしない選択をしてみようか。
「歴史は作られていくもの。 これから作られていくものだし、
作ろうとしなくてはいけないものですから」
ロンドン五輪に 野球が協議からはずされた事に対して、
イチローのコメント。
ここで しばらく 実は 指がしばらく 止まっていた。
うなったまま 言葉が追いつかない。
この言葉に触れられた事への感謝だけは確かだ。
「日本人って 本当は 遊び好き だったのよねえ。」
そんな話をしていた。
着物を着ていた頃は、
” きもの ” という 枠の中なりに
おしゃれ心を遊んでいた、 と。
例えば
半襟に素敵な柄を持ってきたり、
刺繍をしてみたり、
袂の丸みの カーブ具合を 遊んだり、
長さで遊んだり、
帯止め、 組みひも。。。
ちょっとしたところのおしゃれを遊び、
人と違ったスタイルを作っていった、と。
そんな あそびを 楽しむ日本もあった、と。
ふむふむ。
今も、 そんな 日本 ありかも。
それが出来る 今かも。
大崎のビル1Fの吹き抜けスペースに
七夕用の笹と短冊が置いてありました。
ペンとテーブルと短冊があり、
自由に願い事を書いて、 笹にぶら下げます。
しばらく、 色とりどりの短冊を 見上げていました。
会社員の方、 お父さん、 新入社員、OLさん、
近くのマンションに住んでいると思われる小さい子供さん、
お母さん、 などなど、
書かれた字 や 言葉などから いろいろ想像めぐらせながら。。。
七夕は 中国に古くから伝わってる伝説で、
日本でも早くから取り入れられ、
日本書紀にも お祭りの宴が持たれた事が記されているようです。
その後、 江戸時代には民間にも伝えられ
手芸の上達、 手習いの上達 の願いを短冊に
書くようになったとの事。。。
古代からの 銀河の星に繰り広がれる素敵な伝説 を
浮かべながら あらためて 今に感謝をしたりしています。