『ショーシャンクの空に 』 を DVDで見た。
すぐに感想を。。 と思いつつ、
10日ほどたってしまった。
様々なエッセンスが いたるところにちりばめられている作品。
その間、 なんど、 様々な場面を自分の日々の中で
重ね合わせたことか。
自分の状況を、 行動を、 発言を、
何度、
映画の中の登場人物達と重ね合わせたことか。
10日ほどしかたっていないのに、
すでに 自分を
相当励まし、 奮い立たせ、 前を向かせる
作品となっている。
作品を見るにあたり、
”獄中という 限られた状況下で自らの工夫で変化をもたらせ生き甲斐を求める”
という話だ。。 という 前提で 見始めた。
つまり、
制限された状況下で どのように 状況を変化させていくのだろうか。。
ということを 感じたくて 手にした DVD であったということだ。
見はじめからすぐに
どんどん、 映画に引き込まれていった。
目の前に繰り広げられる ストーリー、
俳優達の姿、 に 見入りながらも、
頭のどこかで、
あの、
牢獄の壁が 自分の中の壁であったならば など、
常に、 現実と絡めながら見ている自分がいて、
見終わったときには、
前途の自分の受け取るだろう事柄以上の
衝撃と感情を受け取った。
見れて、本当に良かったと 今 思う作品であった。
これからも、 おそらく 何度と無く
自分の方向を定めてくれる 作品であり続けるだろう。
そして、
最後の場面の ”青” と ”光” と ”砂色” が
頭に鮮明に 焼きつき、
同時に
自分の先に見る場面と重ね合わせているのである。
久々に DVD。
『 恋愛小説家 As Good As It Gets 』 (1997)
主演; ジャック・ニコルソン
ヘレン・ハント
監督 : ジェームズ・L・ブルックス
ジャック・ニコルソン演ずる
ちょっと強迫神経症 + 毒舌の 恋愛小説作家が
隣人のゲイの画家のかわいい子犬を預かることをきっかけに
生活に変化がおこりはじめる。
ヘレン・ハント演ずる シングルマザーのウエイトレスとの
淡い恋を描く ラブコメデイー。
なんとも ジャック・ニコルソン をはじめ、
出演者たちが みんな チャーミング。
ほのぼのと見ていられる作品。
ちょっと疲れたときに、
ゆっったりとした風が通り抜ける映画です。
映画 『ネバーランド』(FINDING NEVERLAND) を鑑賞。
主演 ジョニー・デップ 。 出演 ケイト・ウィンスレット 他。
監督 マーク・フォースター監督。
スコットランドの作家、ジェイムズ・マシュー・バリと
彼の 演劇(play) 『ピーター・パン』 が生み出される日々を
描いた作品。
じん、 と 深いところに伝わってくる映画だった。
本当に、 観て良かった と、
そして、 もう一度 観てみたいと思う作品であった。
エンドロールのピアノが
映画によって開かれた深い部分の
ふたを閉じるようで、
最後の最後まで、
フイルムの最後まで 丁寧に創りこまた映画を、
こちらも 全て 丁寧に味わいたい、
そんな作品。
想像するということ、
想像を 現実の世界から 共有するということ、
現実に生きるための 想像の世界のこと、
希望 と共に 現実を生きる、
ということなどを、
目を上にしたり、 胸に意識を集めたりしながら
感じてみたりした。
印象に残った場面には、
今も、 どこからか 涙が浮かびそうになる。
まだ、 もっと書きたいことがありそうなのですが、
うまく まとまっておらず、
じっくりと 書き足すことになりそうです。

ウォン・カーウァイ 監督 の 『欲望の翼』 を鑑賞。
出演は、 レスリー・チャン、 カリーナ・ラウ、 アンディ ・ラウ、
マギー・チャン、 ジャッキー・チョン、 トニー・レオン。
映画は、 ヨデイ(レスリー) を表すプロローグから始まり、
ヨデイが サッカー場の売り子の スー・リーチェン(マギー・チャン)との
出会いから 展開されていく。
若き6人の、 そのときの生きる日々が綴られている。
実は 一度見終わって、 こちらに書こうと思ったが、
なんだか 足りなくて、 再度見た。
その後、 すぐには 感想が書けず、 今日に至った。
今も、 自分の言葉が この映画から伝わる 熱 に
見合わない 不釣合いさを感じながらも、 書いている。
好きな映画で、 ずっしりと感じた映画である。
場面、セリフ、登場人物を ゆっくりと 順番に
思い起こしてみた。
紙芝居の一枚一枚のように、 場面が強烈の残る。
あの 6人 それぞれの ページに
“ 熱 ” が 焼き付けられているような
そんな 場面ばかりだ。
役者の熱も あるのだろうし、
時代背景もあるのだろうが、
監督が 映像に移しこむ 物や背景も
あるのだろう。
例えば、 人の去った後の競技場の売店だったり、
坂道の横の電話ボックスだったり、
陸橋だったり、 車と車の鍵だったり、
カフェ、 時計、 部屋、
洗濯したランニングシャツ、
列車、 鏡を見る姿。。。
物も ずっしりと残っている。
頭ではなく、 胴の内側に 響いた映画だった。
監督 ステイーブン・スピルバーグ 主演 トム・ハンクス の
『ターミナル』 を観てきた。
空港に降り立ち、 いざ入国となった際、
クーデターによって事実上祖国が消滅。
パスポートが無効になり、どこの国にも属さない空港で
日を過ごす事となる。
空港という独特の空気のただよう、
また、ある意味、
多くの人々(観客)にとって、 印象が深く残っているだろう
空港という 設定の中で
エピソードを並べることで
スピルバーグの 生きること への視点 を
描いていたような作品だった気がする。
いろんな要素がいっぱい詰まっていて、
フックがいたるところに
つけてあるという印象があった。
やはり アメリカっぽい映画なのかもしれない。
それにしても いろんなタイプの映画があるのだろうが、
映画を見ていると、 自分の気持ちの揺れを見ながら、
自分がどんな事を経験し、見て、 考えて、 感じて、
生きてきたのか 振り返ってみることが出来て 面白い。
見てきてない事や、 感じてない事や、
体験してきてない事や、
想像したことにない事には、
映画の画面でも 揺れないから。
そんな事を見れるのが また面白い。

クァク・ジェヨン監督、チョン・ジション コンビの
『僕の彼女を紹介します』を観た。
クァク監督が用意した舞台上を チョン・ジション はじめ、
俳優人たちが 思いっきりはじき飛んでいた、
という印象。
同時に、 こちらの気持ちも隅から隅まで
キュンキュンと 飛ばされる感じ。
唖然とした感や、笑いが、いつのまにか
止まらない涙に。
そして、 最後の言葉まで涙。
しかしながら、 座席を立つ頃には、 不思議な爽快感が残る。
自分の気持ちがどんな場所を通り抜けたのか
確かめるように、
映像を思い起こしたくなる。
『猟奇的な彼女』 を見た後には
足取りが軽くなったのを思い出す。
後味の、 不思議な爽快感が 好きだ。
『花様年華』 を ようやくビデオで。
繰り返し見てしまった。
また見たくなってしまう。
目や顔の表情や、 しぐさや、 場面や、
うわ〜ん と うなりそうになってしまう。
火曜日に返却予定だが、 また見てしまいそうだ。
そう、 とても好きな作品なのでした。
『2046』 も、 もう一度見てみたくなった。
映画 『2046』 を観た。
香港の町中を歩くと 全身を独特の熱や空気感で
覆われる気がする。
そんな匂いや色が画面から漂い
この映画の世界に引き込まれる。
深みに連れ込まれるような映画だった。
列車
穴
記憶
時
その人
。。。 そんなモチーフが 並び、並び替えられ
こちらに渡されている様な気がした。
全ての人が その一人の人との 出会いを追うのだろうか。
その人にとって、 その一人の人でしか ありえないのか。
映画のワンフレーズではないが、
時と場所のずれをいくつ乗り越え、
ずれのないその時を求めるのだろうか。
そして、 求め続けてしまうものだろうか。
映画館に向かう前、
アフリカの打楽器 ジャンベの響く音を背に
美しい風景と空気に包まれた。

『ホテルビーナス』 をビデオで。
モノクロの画面から色彩が徐々に変化していく。
言葉はハングル語。
耳から理解できない言語を、字幕の文字で読み取る。
前に繰り出される絵と、聞こえる音と共に。
過去や名前を隠しお互いを干渉しない場
ホテルビーナス に 暮らす住人の日々を綴った作品。
きっと誰もが一度は触れる場所なのではないのだろうか。
何日泊まるのか、 どれだけ長く住まうのか、
立ち寄るだけか、 ずっといるのか、
コーヒーを飲みにだけ繰り返し立ち寄るのか、
前を通りすがるだけなのか。。。
表立って語らずとも、
通ってきた過去として
じっとしまい込んで置きたいような 場所。
そんな奥底にしまってあるような場所が
画面に映し出されていたような気がする。
国立西洋美術館に マティス展 を見に行った。
大粒の雨が降りしきる中、 上野の公園の中を歩くだけで、
木々からの気持ち様さが充満し、 プロローグが完成
という感じ。
早速、中へ。
地下から始まり、 テーマごとに 7つの部屋で展開される
MATISSE に 気持ちの窓が全開、
目じりを下げ、 口元を緩めながら、
本当に面白く、楽しませてもらった。
同じ主題を、 見た目のままのに、(現実的に)、
また、 その本質のみを (抽象的に) 描かれた作品を
並べて展示してある為、
マティス が 何をその対象物の中に 『見た』 かが
ストレートに 入ってくる。
作品を見ていると、 その作品のモデルになっている
そのモノ それ自体 と、
マティスの前に現れている そののモノ と、
マティス 自身を覗きこんでいる気分になるのである。
私自身は、 マティスの 本質をストレートに、
そして、 きわめてシンプルに描ききった作品たちが
とても好きでした。
展示されていた 一つ一つの作品を思い返すと
言葉が止まらなくなりそうなくらい どれも
面白かった。
そんな中でも 特に選ぶとすれば。。
『メイベル・ヴォ連の肖像 I』
『横たわるキリスト』 3作
『眠る女と静物』
(夢見てるだろうと夢の周りの風景がおもしろかった)
『窓辺のヴァイオリニスト』
『黄色と青の室内』
−赤い室内のシリーズ 4作
『ポリネシア、空』
『ポリネシア、海』
『黄色い背景の顔』
(この作品が最後に展示されていた。
peace という言葉が湧き出て止まらなかった)
またしても、 全くの素人で、 詳しくは全然わかりませんが、
感じるだけ 感じて、 感じきって 館を出ました。
外の雨は、 止むどころか、 大粒になり、
木々の気持ちよさだけが 公園の中に残されているようでした。
『シェフと素顔と、おいしい時間 DECALAGE HORAIRE』 を見た。
ジャン・レノ と ジュリエット・ビノシュ (『ショコラ』ほか)、
二人の繰りなす場面場面につい釘付けに。
| ストーリー: パリ、シャルル・ド・ゴール空港、25時。 恋人から逃げる女と恋人を追いかける男が、足止めされた空港で図らずも一夜を共にするハメとなり、反目しながらも次第に惹かれ合っていく姿をロマンティックに描く、ラブコメデイ。 |
空港に行きかう人々の作り出す独特の空気感、
荷物にうんざりするほどの妙に狭々したカフェ、
街中とは異なる独特の空港内での人との距離感 が
現実味を帯びていて、 一気にストーリーに引き込まれた。
そして何より、二人の表情や,しぐさや,様子がたまらなくいい。
かろやかに、 でも、 ちょっとしっとり、
夏から秋に向かう時期にピッタリの作品。
楽しかった♪
映画 『 Deep Blue 』 を見てきました。
無限の感じ方と、 無限の感想 が詰まっている映画。
映画終了後、 メデイアージュのその館内に拍手が起こった。
それにしても、 すごい生命力のある星、地球に
生まれてきたんだなあ と。
そして、 地球上の全てが その生命力を 与えられている と。
この地球に、 人間として、 一つの生命を頂き、
この様な映画が作られ、 見られる時代に
今、 生きている自分。
どのように、 この生命力を 生かしきり、
1つの生命を生きぬき、 次につないでいくか。
与えられた 自由 と 責任 でもあると感じている。
深海の映像を見ながら、
この海が枯渇してしまうことがあるのだろうか、 とか、
どこまで、 この海がある限り、 地球の生命が
進化し続けるのか、 などと 思いをよぎらせた。
映画には、 一人として人間は写っていないが、
映像を撮った人々、 映画を作った人々、
スクリーンの前にいる人々、 が どんなドラマを
作っているのか と 想像をしてみるのである。
久々の ビデオクリップ。
ヒューグラント主演 リチャード・カーティス脚本 の
『フォー・ウェディングFour Weddings and A Funeral』
見ながら、 『ラブ・アクチュアリー』 に似ているなあ、
と思ったら、 脚本家、スタッフが同じとの事。
なんだか ホッコリする作品。
夏ではあるけど、 暑すぎなく、 むしむししない
ホンワカな あったかさを 堪能してしまいました。
人間って底知れずいいなあ。。 と。
楽しかった♪
イギリス映画 リチャード・カーテイス監督の 『ラブ・アクチュアリー』。
観て、エントリーを と思いながら、 とうとう一週間たってしまった。
くすくす笑い、 思わず吹きだし、 じんわり涙、 止まらない涙、などなど。
どれだけの種類の 笑い と 涙 があるのだろうかと思った。
19人の日常のエピソードとそこに在る愛を描いた作品。
暖かく、やさしい 作品。
”「私は愛について多くを書いてきた。芸術で描かれるのは、
人間性の暗い側面が多いが、私が見る世の中には、
ものすごい量の愛や好意が溢れているんだ」”
と語る リチャード・カーテイス監督の言葉が集約された作品であった。
なんだか 生き物の全てに与えられた 目に見えない、この独特の感情を
今、 とてもいとおしいと思う。
目に見えないそれを 日本語では 愛と名づけられた。
改めて愛と云う言葉と、 その言葉の定義と、
その言葉の指し示す目に見えないソレを
なぞり合わせてみたりした。
love actually.
休みの前夜、 これを借りに行ったわけでもなく、
なにかあるかなあ、と立ち寄ったビデオ屋さん。
うろうろしていて ふっと目に留まって 中身も知らずに借りてきた。
はじめから終わりまで、 目が離せませんでした。
というか、 フランス語のおかげで、 よそ見しながら観ることが
出来なかったから 余計良かった。
笑った、 泣いた、 焼きついた。
フランス映画 監督: ジャン=ピエール・ジュネ の 『アメリ』 。
どこをとっても、奥ゆきを観てしまう、一瞬たりとも見逃したくない作品。
思いもよらず、 いたずらが 呼び止めてくれた作品でした。
今日のエントリーは 昨日読み終わった 本のことを書こうと思っていた。
さっき 映画を DVD で観て 頭がミックスされ、
並べられた事は無いだろうと思う この2作品のことを書くことにした。
どちらも 同時期に、 私が 読んだ本で、 私が 観た映画だから、
この異なる作品の中に、 同じものも見えたのかもしれない。
(評論家には向きませんね。。。)
本は、 池澤夏樹 氏著 の 「真昼のプリニウス」。
DVDは、 「猟奇的な彼女」。
思いの強い本、 読んだ本に ついて 何かを言うことは、
自分をそのまま露出してしまうような気がして、躊躇する。
池澤夏樹 氏の 本を読んでの感想は、 まさにそのものとなってしまう。
私は、 氏 の様々な書物上に描かれている 思考プロセス、視点と
驚くほど、 非常に近い。
初めて、 氏の本を読んだときに 驚いた。 そして 安心感を持った。
今回も、 「真昼のプリニウス」 を読んで、 私の感想を一言残すとすると、
”奥底がとても安心する” となる。
自分が表に出していない部分が文に残してあり、
読むことで、 この思考が実際にあるんだと確認できるから。
変わって、DVD 「猟奇的な彼女」。
テイストは、 全く上記の本とは異なるし、私とも違う。
しかし、 根底の部分では、 共通の点も あるように思った。
非現実を 現実の中に 組み込ませているところ。
人間としての 行動プロセス、 反射行動。
そして、自分の動くところに世界が出来上がる見方があるというところ。
この テイストの全く違う 2作品が、
同じ軸でも見る事が出来るのでは、と思えたのは、
それぞれの(?) 本質 (本質に”それぞれ”があるのかは未だ解)
に対する ストレートさ において、
焦点の当て方、もしくは 視点の 置かれた場所が、
一方は、 ”思考(本)” で、 もう一方は ”行動(DVD) ”
であった為、 ではなかったのかと思うのである。
根拠?
本を読んだ後 私は 奥底が安心し、
DVDを 見た後 私の体は 異常なほどに 軽くなったから。
猟奇的な組み合わせの、 猟奇的な結果 。。。 とも。
誠に、勝手な、素人の感想です。
川上弘美 氏著 の 「センセイの鞄」。
読んでから一週間ぐらい、もうちょっと経つかも。
もう少し、もう少しと なんだか暖めておきたい様な 味わっていたい様な、
そんな一冊でした。
なんだかゆっくり、時間をかけないとなぞれない様な。
じんわりと 染み入る様な。
まだきっと 味わい続けるけど、そろそろ 今を書き留めておこうと。
私には無いピースが、どんなピースかを見せてくれた一冊。
ずっと 味わい続けたい、そんな本です。
おかぼれもんの picoさんの こちらのエントリーに紹介されていて、
思わず手に取り、次々とページがめくられ、最後まで読んだあとに、
じんわり、ふっ ふっ と呼び覚まされる、 私にとっては、そんな一冊でした。
(picoさん どうもありがとう。)
縦軸があるとして、 その中に 個 があるとする。
縦軸の中の 極 には 粒子、 もうい一方は ドロドロのうごめく状態。
その間に 表層があり、 目に見える姿があるとする。
小説を読んでいると、入り込んでいきながらも、
この軸の どのあたりの表れであるのか を見たりもする。
登場人物の表れや、 作者の表れや、 読みながら見えてくる自分の表れ。
今日、本年最初に読み終えた本は、
ドロドロする方の極も 確かにあるのだと、
また、それは、姿との関わりが非常に深いんだと あらためて 感じた作品だった。
梨木果歩 氏著 の 「からくりからくさ」 。
この本は、特にはじめの方に 名詞が 沢山出てくる。
様々な草木、庭や野山にいる虫、手工芸 など。
現代に生活するのに、必ずしも知らなくてもすむ名詞の数々。
ただ、その名詞を知っていると 情景がより鮮明に 味わいのあるものに変わる。
この本も、現代的生活から その名詞たちが生き生きとしている情景に
運び込まれていく 過程が印象的だった。
私は この本を読み進むにつれて 女性という部分を
どんどんと 呼び起こされていくのを感じた。
女性として生まれてきているという事を。
自分の意思ではどうにも変えることが出来ない
目に見える表層上の条件。
粒子にこれが付き、さらにそれにつながるドロドロの部分が引きずられて、
表層上の行動となっているのでは と勝手な推測をした。
そして、その表層上の行動でのみ 楽しみ、喜び、などが、
その反対の感情を感じる一方で生まれるのではと。
ならば、与えられた絶対条件のもと、
おおいに楽しみや、喜びを 感じていたいと、
そんな思いを持った、
年頭に自分の新しさを見た作品でした。
。 。 。
この本は、 おかぼれもん の picoさん が お正月のエントリーで
書かれていて 読みたいなあ と思い 読んだ本でした。
きわめて個人的な、非常に、勝手な 感想で、
本質とは全然違うかもしれませんですので、 お許しを。
夜10時 まで開いていると聞いていたので
9時ごろから 森美術館の 「ハピネス:アートにみる幸福への鍵」
を 覗いた。
じっくりと観れなかったので、
作品に対してはコメントはできないが、
好きな作品、そうでない作品が はっきりわかれた。
作品の中を歩きながら、
観に来ていた人々、
美術館で働く人々、
警備の人々。
ハピネス という名の空間 の中を 行きかう人々の
幸せに 興味を持った。
美術館を囲む 52階の ガラス張りの壁 から
東京の夜景を 眺めていた、 多くの人々 の 後姿 に
ハピネス という 作品を 垣間見た気もした。
上野の 東京国立博物館 に
『 国宝 大徳寺聚光院の襖絵 』 の展覧会を観にいった。
2時間ほどの時間だったため、
狩野永徳 筆、 狩野松栄 筆 の 4作品 と
千住博 筆 の 2作品を 中心に観た。
狩野永徳 筆の 襖絵を観て、 短く表すなら、
狩野永徳 の この世に 生きるすべてのものに対する
慈愛 (といっていいのであろうか) の深さを 感じた。
(以下 全くの私個人の見方でしかありませんので、
お許しください。)
特に 「花鳥図」 16面 は 気がつくと 1時間がたつほど、
狩野永徳の 無数の目線を描き出す 温かさに感銘を受けた。
1日中でも、襖の前に正座をして じっくり眺め、
虫の目線、かえるの目線、土の目線、枝の目線、
山の上の木の目線、花の目線、鳥の目線。。。
無数に広がる目線の世界を じっくり味わってみたい、
そんな 襖絵だった。
時代がたち、千住博 筆 の 襖絵。
この世のものの すべての目線を超え、
存在するすべての微粒子 からの 視線 が
描かれた 世界のように感じた。
現われを超え、すべてが同じ微粒子として 存在している、
そんな世界が描かれているような、
何かに吹き上げられるような、
地上を抜けるような そんな 域にひろがる世界観を
強く感じる 襖絵だった。
室町の狩野永徳氏は 無数の目から無数の世界、
平成の千住博氏は、
一つの目が見うる複数の層の領域の世界 が
描かれた いずれも それぞれの時代の
聚光院 の 襖絵だった。
できることなら、数百年後、
どんな目で 両氏の 襖絵を見るのか
観てみたい。